「共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)」という言葉を聞いたことはありますか?
この記事を書いている私(わや@wayasblog)はテレビでこの現象を知った時、衝撃を受けました。
まさに私が心の中でモヤモヤと感じていたことだったからです。
この感情に名前があると知って嬉しかったのを覚えています。
より理解を深めるため、「共感性羞恥」についての論文を読んだので、この記事で詳しく解説をします。
動画で見たい方は、下記からご覧ください。
「共感性羞恥」にも色々な種類があるようですが、私の場合はドッキリ番組が見ていられません。
ドッキリを仕掛けられている人が、「次にどういったドッキリを受ける」ということがわかっているので、どうしても目を背けたくなってしまいます。
特に、誰かに怒られる、というシーンが特に見ていられません。
周りに話しても、この感覚を理解する人に出会ったことがないので、少数派なのかもしれません。
「共感性羞恥」についての論文を読み、自分なりに納得のいく答えが出たので、解説をします。
最近は「Twitterのフォロワーを増やす」という行為にも共感性羞恥を感じています。
詳しくは「Twitterのフォロワーを増やす意味はなんですか?【違和感を抱いた件】」の記事で解説しています。
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「共感性羞恥」とは?
「共感性羞恥」は、以下のように説明されています。
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象。
はてなキーワード
先ほど例に出した、ドッキリ番組を見ていられない、というのは「共感性羞恥」に当てはまりますよね。
また、「共感性羞恥」は心理的距離の近い人(家族など)に対して最も感じるそうです。
つまり、「共感性羞恥」は「家族>友人>見知らぬ人」の順で感じるということです。
ドラマの主人公は赤の他人ですが、主人公に対して「共感性羞恥」を感じるのは、感情移入しているからなのでしょう。
「共感性羞恥」の原因
共感性羞恥を感じているあなたは、「恥ずかしがり屋」ではないですか?
そもそも「恥ずかしい」という感情はどのように起こる?
「恥ずかしい」という感情が起こるメカニズムは以下のように書かれていました。
羞恥感情の発生には,他者(想像上の他者を含む)の視線が影響している
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
確かに、誰かに見られたら恥ずかしいと思うもので、他者がいなければ何とも思わないですよね。
考えてみれば、当たり前のことです。
例えば、1人で家にいる時、部屋着がどんなにみっともなくても何とも思いません。
しかし来客があると慌てて着替えるのは、みっともないという羞恥感情が起きるからです。
このように、他者がいて初めて「恥ずかしい」という感情が起こるのです。
「共感性羞恥」が起きる原因
「共感性羞恥」が起きる原因は以下のように書かれています。
羞恥喚起場面には,失態を他者に見られる ことでではなく,他者の失態を見るだけで,羞恥を経験す る場面がある。例えば,酒を飲み気分がよくなり,公の場 で友だちが歌いだしたとする。それを見ているだけの自分 が非常に恥ずかしくなり,友だちの行為を止めさせようと する。羞恥感情には,望ましくない行為や行動を抑制する 働きがあることが知られているが,見ているだけで恥ずか しくなる羞恥感情にもこれと良く似た働きがあると考えら れる。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
「共感性羞恥」と自分自身が「恥ずかしい」と思う感情には似た働きがあるのです。
ということは、恥ずかしがり屋は「共感性羞恥」が起きやすいということになります。
つまり、恥ずかしがり屋であるということが、「共感性羞恥」が起きる原因ということになります。
「共感性羞恥」を治す必要はありません
「共感性羞恥」を治す必要がないと考える理由を論文から引用します。
共感的羞恥は,共感的に他者を見ることと,個人の羞恥への感受性によって決定される。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
共感的羞恥は心理的距離の近い者ほど感じやすいこと,個人の恥への感受性が強いほど,共感的羞恥を感じやすいことが明らかとなり,主体的羞恥と共感的羞恥は同じ感受性をベースとしていることが分かった。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
つまり、「共感性羞恥」を感じる人は共感的に他者を見る能力が高いということです。
これって治す必要はないですよね?
治るものでもないと思いますし、別に悪いことではないです。
心の温かい人、相手の気持ちをくみ取れる人ではないでしょうか?
私の中で、以下のように定義をしました。
「共感性羞恥」を感じる人 = 優しい人
ちょっと意訳し過ぎかもしれませんね。
まとめ:「共感性羞恥」を感じることは悪いことではない
この記事では、「共感性羞恥」について解説をしました。
論文を読んで、「共感性羞恥」を感じることは悪いことではないということがわかりました。
私なりに、「共感性羞恥」を感じる人=優しい人という定義までしてしまいました。
「共感性羞恥」を感じる人は、その事実を受け入れてみませんか?
以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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