「共感性羞恥(きょうかんせいしゅうち)」という言葉を聞いたことはありますか?
この記事を書いている私(わや@wayasblog)はテレビでこの現象を知った時、衝撃を受けました。
まさに私が心の中でモヤモヤと感じていたことだったからです。
この感情に名前があると知って嬉しかったのを覚えています。
より理解を深めるため、「共感性羞恥」についての論文を読んだので、この記事で詳しく解説をします。
- 「共感性羞恥」とは?
- 「共感性羞恥」の原因
- 「共感性羞恥」を治す必要はありません
動画で見たい方は、下記からご覧ください。
「共感性羞恥」にも色々な種類があるようですが、私の場合はドッキリ番組が見ていられません。
ドッキリを仕掛けられている人が、「次にどういったドッキリを受ける」ということがわかっているので、どうしても目を背けたくなってしまいます。
特に、誰かに怒られる、というシーンが特に見ていられません。
周りに話しても、この感覚を理解する人に出会ったことがないので、少数派なのかもしれません。
「共感性羞恥」についての論文を読み、自分なりに納得のいく答えが出たので、解説をします。
最近は「Twitterのフォロワーを増やす」という行為にも共感性羞恥を感じています。
詳しくは「Twitterのフォロワーを増やす意味はなんですか?【違和感を抱いた件】」の記事で解説しています。
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「共感性羞恥」とは?
![「共感性羞恥」とは?](https://wayasblog.com/wp-content/uploads/2019/03/question-mark-1024x681.jpg)
「共感性羞恥」は、以下のように説明されています。
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象。
はてなキーワード
先ほど例に出した、ドッキリ番組を見ていられない、というのは「共感性羞恥」に当てはまりますよね。
また、「共感性羞恥」は心理的距離の近い人(家族など)に対して最も感じるそうです。
つまり、「共感性羞恥」は「家族>友人>見知らぬ人」の順で感じるということです。
ドラマの主人公は赤の他人ですが、主人公に対して「共感性羞恥」を感じるのは、感情移入しているからなのでしょう。
「共感性羞恥」の原因
![「共感性羞恥」の原因](https://wayasblog.com/wp-content/uploads/2019/03/545f30f6-720c-4d0f-a768-52e0dce3de31-800x533.jpg)
共感性羞恥を感じているあなたは、「恥ずかしがり屋」ではないですか?
そもそも「恥ずかしい」という感情はどのように起こる?
「恥ずかしい」という感情が起こるメカニズムは以下のように書かれていました。
羞恥感情の発生には,他者(想像上の他者を含む)の視線が影響している
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
確かに、誰かに見られたら恥ずかしいと思うもので、他者がいなければ何とも思わないですよね。
考えてみれば、当たり前のことです。
例えば、1人で家にいる時、部屋着がどんなにみっともなくても何とも思いません。
しかし来客があると慌てて着替えるのは、みっともないという羞恥感情が起きるからです。
このように、他者がいて初めて「恥ずかしい」という感情が起こるのです。
「共感性羞恥」が起きる原因
「共感性羞恥」が起きる原因は以下のように書かれています。
羞恥喚起場面には,失態を他者に見られる ことでではなく,他者の失態を見るだけで,羞恥を経験す る場面がある。例えば,酒を飲み気分がよくなり,公の場 で友だちが歌いだしたとする。それを見ているだけの自分 が非常に恥ずかしくなり,友だちの行為を止めさせようと する。羞恥感情には,望ましくない行為や行動を抑制する 働きがあることが知られているが,見ているだけで恥ずか しくなる羞恥感情にもこれと良く似た働きがあると考えら れる。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
「共感性羞恥」と自分自身が「恥ずかしい」と思う感情には似た働きがあるのです。
ということは、恥ずかしがり屋は「共感性羞恥」が起きやすいということになります。
つまり、恥ずかしがり屋であるということが、「共感性羞恥」が起きる原因ということになります。
「共感性羞恥」を治す必要はありません
![「共感性羞恥」を治す必要はありません](https://wayasblog.com/wp-content/uploads/2019/03/good-1024x683.jpg)
「共感性羞恥」を治す必要がないと考える理由を論文から引用します。
共感的羞恥は,共感的に他者を見ることと,個人の羞恥への感受性によって決定される。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
共感的羞恥は心理的距離の近い者ほど感じやすいこと,個人の恥への感受性が強いほど,共感的羞恥を感じやすいことが明らかとなり,主体的羞恥と共感的羞恥は同じ感受性をベースとしていることが分かった。
「共感的羞恥と心理的距離 」桑村幸恵
つまり、「共感性羞恥」を感じる人は共感的に他者を見る能力が高いということです。
これって治す必要はないですよね?
治るものでもないと思いますし、別に悪いことではないです。
心の温かい人、相手の気持ちをくみ取れる人ではないでしょうか?
私の中で、以下のように定義をしました。
「共感性羞恥」を感じる人 = 優しい人
ちょっと意訳し過ぎかもしれませんね。
まとめ:「共感性羞恥」を感じることは悪いことではない
この記事では、「共感性羞恥」について解説をしました。
論文を読んで、「共感性羞恥」を感じることは悪いことではないということがわかりました。
私なりに、「共感性羞恥」を感じる人=優しい人という定義までしてしまいました。
「共感性羞恥」を感じる人は、その事実を受け入れてみませんか?
以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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